自己紹介〜救急病院辞めました〜

自己紹介…続き

こんにちは。ゆいなです。

この度は私のブログをご覧いただきありがとうございます。

 

 

今日は自己紹介の続きで、救急病院を退職したエピソードについて、お話しして行こうと思います。

 

 

40歳で正看護師の資格を取り、病棟主任になった私は、仕事にやりがいを感じていました。

 

救急病院だったから、毎日毎日救急車がサイレンを鳴らし、緊急処置が必要な患者さんが運ばれてきます。

 

病室の窓から救急車が縦列駐車しているのが見えました。

 

周りの看護師は「やれやれ…また仕事が増える」とため息をついていました。

  

 

 

でも私は「さあ!どんな患者さんだろう。緊急手術かな。だったらあの部屋に入院して、担当は〇〇さんにしてもらおう」とくるくる頭を働かせて、段取りをしていました。

 

 

交通事故や高所からの転落、心臓発作に脳梗塞…

 

まさに「救命病棟24時」の世界です。

 

 

それでも私はどんな救急でも対応できたし、怖いものはありませんでした。

 

こんな言い方は失礼かも知れませんが、救急車が来ると聞くとワクワクしていたくらいです。

(変わってますよね?笑)

 

でも、50歳を過ぎた頃から明らかに仕事が出来なくなってきたんですね。

これが老化?

まず判断力が鈍るんです。

 

とっさの判断ができない。

 

もう入院患者さんがいっぱいで救急車で運ばれてきた患者さんを受け入れる事ができないとします。

 

それでも今入院されている患者さんにお部屋を移動してもらったり、予定入院のベットを使ってその場をしのいだり、なんとかベットコントロールをして受け入れなければなりません。

 

その采配が出来なくなってきました。

 

また…

 

 

突然早朝にかかってくるママナースの休みの電話。

 

子供さんの発熱は仕方がない事ですが、それでもシフトの変更を考えなければなりません。

 

「もう!患者さんの担当決めてるのに!また変更しなくちゃいけないじゃない!」

 

ママナースを責めるつもりはありませんが、シフトを変えるという作業がもう面倒になっていたんです。 

少し前なら迅速に判断できていた事が出来なくなってきました。

 

「どうしよう、どうしよう…」

 

 

焦るばかりで何も浮かんできません。

 

他にも…

 

 

聞いたことを忘れる。

(あ…ごめん。聞いてたよね、それ、みたいな)

 

人の顔や名前が思い出せない。

(えっと…あの患者さん誰だっけ?)

 

忘れないようにメモしたメモをどこかに忘れる。

(もう終わってます…)

 

もう明らかに「老化」ですよね?

 

私も最初は信じられませんでした。

 

まだまだ出来る。まだ出来る!

 

私、あんなに動けてたんだから!って。

 

ただ、もうその時、救急病院の過酷な勤務に身体もついて行かなくなっていました。

 

葛藤の日々…そして。

 

夜勤は夕方16時半から翌朝8時半までの16時間労働…。

 

仮眠2時間取れるはずが、緊急入院でも入ると次から次に仕事が増えて、仮眠どころかほっとお茶する時間もない。

 

ずっと緊張感のある中、ひたすら患者さんの処置や医師からの指示をこなします。

 

夜勤明けで帰宅すればベットになだれ込み爆睡。

 

もう起き上がれませんでした。

 

せっかくの休日も「身体を休めること」に全集中!

 

どこかにお買い物に行こう♪なんて気持ちはこれっぽちもありませんでした。

 

もう無理…。

 

もう限界…。

 

救急病院で働くのはもう辞めよう…。

 

 

そう思ってもやはり32年間働いてきた病院です。

 

勤労学生として働きながら准看護師に、そして正看護師の学校に行かせて貰いました。

 

看護師としての今の私がいるのは、この病院のおかげ。

 

辞めたくてもなかなか決心が出来ませんでした。

 

 

 

そんな悶々と過ごす中、私は人生を変える出会いをします。

 

私の人生を変えた出会いと決断とは…。

 

この続きは長くなってしまうのでメルマガにしてみました。

 

興味のある方はメルマガで読んでくだされば嬉しいです。

 

そして私の決断が正しかったか…

 

ぜひご感想を頂けたら嬉しいです。

 

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